ふつうに生活して60歳までで、人が口にする食事はおよそ6万食。このうち、物心が付くまでが10年あるとすれば、5万食。積み重ねると大変な数ですが、その食事のなかで生涯忘れられない「味」となると、そうそうあるものではありません。これはプロの料理人にしても同じことです。
「先生のように料理の道で長年生計を立ててきた方でも、一生忘れられない食事というのがありますか?」。ある方にそう問われて、改めて考えてみました。私はすぐさま三つの食を思い出しました。
まず、終戦直前の昭和19年、父が発電所開発の技師をしていた関係で、ほんの10ヶ月ほどですが、秋田県の田沢湖で暮らしていました。
戦争中のことですから、都会ではまともな食事もままならないときでした。が、さすがに秋田はいまでも有数の米の産地、いいお米がありました。
炊きたての真っ白なごはん。なんでもない白いご飯。これが私の生涯忘れられない「食」のひとつです。
田沢湖あたりは、清らかなよい水に恵まれています。その水のおかげで、いい米がとれます。この味が記憶に深く残っています。当時は今と違って、収穫した米は天日で乾燥させていました。もちろん、肥料も天然。農薬なんてあるはずもありません。
当たり前の昔ながらの農法で、お百姓さんが一生懸命になって作ったお米がおいしくないはずはないのです。これは、いまになって思うこと。当時、小学校1年生だった私は、そんな理屈など関係なし。ただただ、炊きたての白いご飯って、こんなにおいしいものだったのか、と驚いたのです。
二番目に忘れられないのは、香港のフカヒレ専門店で味わったフカヒレの姿煮込み。もう20年ほど前に食したのですが、これがいまもって思い出されます。
べっこう色の色艶、しっかりと味の染みこんだヒレの風味。フカヒレは乾燥したものを料理店でもどしてから、味付けをするのですが、その手間暇は信じられないくらい大変です。
たぶん、あの店では20日間くらいかけていると思います。残念ながら、日本ではとてもとても、それだけの手数はかけられません。同じ中国料理人として、ショックでした。
そして、最後は志摩観光ホテルの高橋忠之氏の手になる「アワビのステーキ」。大根と一緒に蒸したアワビの食感は、いまも口が覚えています。そのやわらかなこと!
高橋さんは、伊勢志摩の近郊でとれる食材をいかして、創造的な、最高のフランス料理を作り出した才人です。
この一品を仕上げるために、大根ひとつだって日本中から取り寄せ、試行錯誤を繰り返した末に、やはり、地元の三重県でとれるものを使ったそうです。その熱意、そして、なにより伊勢志摩を愛する心が結実した逸品でした。
(高橋忠之氏は1941年三重県賢島生まれ。15歳で志摩観光ホテルに入社、29歳で料理長に。1994年に同ホテルの総支配人・総料理長に就任。残念ながら、2001年に退任されました)
これらの忘れがたい食を思い返してみて、痛感するのは、いまの時代の「食」の貧困でしょうか。流通が発達して、食材にことかかないように見えて、実際のところ、料理人からすると、素材のレベルは、明らかに落ちてきています。
それには、さまざまな原因がありますが、私見では、生産者が利益を優先する形で食材を作っていること。それと法律の規制などなど。
当たり前のこと、今回の話で言えば、地元の一番の特産をしっかりと活かし、丁寧に真心を込めて調理すれば、自ずとおいしいものになるはずです。それが実は贅沢な時代になってしまっているのです。
さて、あなたにとって、生涯忘れられない「食」は、どんなものでしょう。一度、考えてみてはいかがでしょうか? |